IQ研究所

人生の教科書

勉強記録④11/23~29

11/23(月)

7:00に起床するも、パンを食べたのち10:00~13:00まで寝る。

茶店に出向き、卒論とは関係の無い本を読み帰宅後、またしても17:00~19:00まで仮眠。惰眠を貪る。

他の時間はYouTube鑑賞とネットで拾った小説を読んでいた。

寝ている時間が極端に長く、その分活動時間が短い。

「卒論の作業をしなければ」という危機感はあるにはあるのだが。

 

11/24(火)

この日も寝ていた以外の記憶が無い。

寝ている時の記憶が無いのは自明なので、正確にはベットでゴロゴロしていた記憶しかない。

卒論関係の作業は一切できていない。

資格の勉強は言わずもがな。

深夜「ジョン・ウィック」を観た。

 

11/25(水)

この日も昼食(朝昼兼用)後、夕食後、1時間かそれ以上爆睡していた。

卒論・資格関係の作業は一切できていない。

他の時間で何をしていたのか、記憶が一切ないのが不思議だ。

深夜「ジョン・ウィック2」を観た。

 

11/26(木)

14:00頃から3時間ほどかけて、自室の片づけを敢行した。

かなりガッツリと片付けをすることができた。

ここまでガッツリと片づけをすることはほとんどない。

多分2,3ヶ月、いや半年ぶり位かもしれない。

机の上、机の周りにモノが散乱していて勉強どころではなかったところから、机の上のスペースを確保し、部屋の入口から机までの通路を確保するところまで片づけることができた。

この一歩は自分にとって大きな一歩だ。

この日はこれで割と満足した。

ファイル、コピー用紙などを買いに行ったついでに、ミスドで軽く論文の整理をした。

10日ぶりくらいに卒論関係のことをすることができた。

 

11/27(金)

早朝、夕方ともに1時間ほどずつ論文を読んだが、それ以外作業らしい作業はしていない。

8:00~12:30まで爆睡していた。

1時間か2時間くらい寝ようかみたいなノリで寝始めたら、午前が終わってた。

夕食後も1時間くらい寝たのか。

不思議と罪悪感はない。

ネットをダラダラ見てしまう時のような嫌な感じが全くと言っていいほど無い。

 

11/28(土)

夜9時から2時間強論文を読むなどしたがそれ以外に作業らしい作業はできていない。

深夜1時間半ほど歩く。

 

11/29(日)

日中全く卒論関係含め、すべての作業を全く進められずベットで漫画を読んでいた。

とはいえ、それはそれで幸せな時間だったと思う。

勉強したその先で結局したいことと言えばこうしてベットで本や漫画を読むことだろう。それを先取りしていると考えるといい時間の使い方だなと思えてくる。

現代人は少し働きすぎなのかもしれない。

よく言われるように、機械に労働を代替した分人間の労働量は減ってもおかしくないが十年、二十年前とさほど就労時間、時期が変わらないのは、少子高齢化以外があるだろう。

働いていない自分、教義の生産活動に従事していない自分を受け入れる強さを持たねば。

 

漫画『あいだにはたち』作者:さおとめやぎ 講談社

何キッカケで知ったか忘れたが、気がついたらAmazonで買ってkindleで読んでいた。

そして、あっという間に全6巻を読了していた。

面白い。実に面白い漫画だ。

 

最大のツッコミどころであり、この漫画のキーコンセプトである「あいだにはたち」すなわち、主人公高江玲於奈(以下:玲於奈)とヒロインミサさんとの歳の差20歳は、作者の画力により違和感は薄められている。

つまり、ミサさんが超絶美人として描かれているため、高校生が38歳の女性にゾッコンでも「まあ、分からんでもないな」みたいになる。

 

思ったことはいくつかあるが、一番大きいのは、「相手を妊娠させてしまったと知ったら相当怖いだろうな」ということ。

玲於奈はミサさんの妊娠を喜んで受け入れたけど、現実世界でそんなことが自分の身に起こったととしたら怖くて震えるだろうな。高校生で立派に父親としての役割を果たしている人もたくさんいるだろうが、僕にはそれは絶対無理だ。

 

玲於奈は「責任とる」みたいなことを言っていたけど、「どこからその自信くるの?」と失礼ながら思ってしまった。

ミサさんが何度も心配していたように、いくら美人とはいえ38歳の相手に飽きてしまうかもしれない、みたいなことは考えないのだろうか。

それとも僕の心が汚れているのか。

 

玲於奈を見ていて、想いが真っすぐですごくいい子だなと思い、その結果として自分はなんて嫌な奴なんだろうと思った。

 

こういうフィクションを楽しむときの心得として、自分の反省材料にはしてはいけないな。玲於奈はあくまでフィクションの住人だからあのようにふるまったのであって、現実世界の住人はあんなに純粋に生きられない。悲しいかな。

 

とりあえず最後がハッピーエンドで良かった。

ミサさんは何であんなに年齢にコンプレックスを持つようになったのかは分からないけど、とにかく良い旦那さん見つけられてよかった。

 

おわり

 

 

映画「二ンフォマニアック」1・2 監督:ラース・フォン・トリアー 主演:シャルロット・ゲンズブール

先日、ビデオ屋でchapter1をたまたま借り、面白かったのでchapter2も借りて観た。

(多少のネタバレあるかも)

 

色情狂の主人公の生い立ちを、彼女の語りで追う作品。

 

何をすれば、どうすれば人は「満たされる」のかを考えさせられる話だった。

主人公の女の人は、数多の異性と関係を持ち、出産をし、SMプレイ的なことをしても、どこか満たされていない。

聞き手役のセリグマンは、60歳くらい(?)で、もともと性欲が無いらしく童貞と言う設定だけど、情緒的には安定しているように見える(実はそうでもないことが分かるけど)。

 

主人公とセリグマンの話の噛み合わなさは見ていてイライラする。

セリグマン、そうじゃないだろ!」となる。

 

主人公の女の人は、自分の性生活について細かく開示しているけど、凄く勇気のいることだと思う。本人は別に何とも思っていないかもしれないけど。

自分の性癖を隠す、なんてことに意識が向かないくらいに追い詰められていたということだろうか。それにしても自分の性癖について赤裸々に話すというのは難しいだろう。

 

主人公の女の人には、割と共感(?)する部分もある。

奔放な性生活については真似のしようがないけど、そこに向かっていく心理みたいなものは、分かると言えないまでも理解不能でもなかった。

 

実際、スクリーンの中の彼女と現実世界の僕らは何が違うのだろう。

彼女には旺盛な欲望とそれを満たし得る性的魅力があった。

現実世界の住人の多くにも旺盛な欲望はあるだろう。

違いはそれを満たすための魅力・能力があるかないかだけは、などと思った。

 

おわり

 

 

映画「ハニートラップ 大統領になり損ねた男」監督:アベル・フェラーラ、主演:ジェラール・ドパルデュー

先日、ビデオ屋で見つけてなんとなく借りてきて観た。

 

ストーリーは副題の「大統領になり損ねた男」が全て。

性欲旺盛な大統領候補のデヴローが、強姦未遂で捕まる。

そして、その結果大統領の座を逃す。

でも本人はもともと大統領になどなりたいなどとは思っていなかったので特に傷つくこともない。

デヴローの妻は、自身の夫を大統領にするのが夢だったので傷心。

 

ストーリー展開でここが特に面白かったとかはない。

正直いつになったら事件が展開していくのかな、と思っている最中にフィナーレを迎えた感じ。多少肩透かし感があった。

 

唯一印象に残っているシーンは、デヴローの独白のシーン。

なぜ性に奔放になったのかについて自分自身で分析らしきことをして、それを独白しているシーン。

細かいことは忘れたけど、「人は救われたくないのだ」みたいなことを言っていたのが印象に残っている。

普通人というのは救いを求めているようだけどそれは違うと。

 

この言葉がなぜか引っかかった。

それっぽいことを考えていたからだろうか。

人は、救われたいと口で言っていたとしても実はそれは本心ではないかもしれない。

無意識のレベルでは人は自分を救ってくれる存在を避けているのかもしれない。

「こうすればいいんだよ」と助言をもらっても素直にその助言を聞けない。

救いを求めているようでいて、実際に手助けしてもらえる段になるとその差し伸べられた手を振り払いたくなる。

そんな部分が人間にはあるのではないか。

 

やはり人は自分の問題は自分で片を付けたいと思う生き物なのかもしれない。

他人に助けてもらうことが結局は自分のためにならないことを自分が一番知っているのだろう。

だから「救われたい」けど「救われたくない」というジレンマに陥る。

 

そんなことを考えた。

 

おわり

 

 

キョム

(かなり前から「下書き」に入っており、虚無に浸っているときにちょこちょこ書いたりしていたが、書いたり消したりしていくうちに最初の方の文章がなくなって後から書いたことばかりになってしまうかもしれない。それは嫌なので早めに投稿しておく)

 

ザ・雑感。

 

最近、虚無感が凄まじい。

今の心情に名前を与えるとしたら「ニヒリズム」になるのだろうな。

 

結局いずれ死ぬのにな、という想いがずっと頭の中心にある、そんな感じだ。

 

自分を無理に奮い立たせることはもしかしたら可能なのかもしれないけど、その反動が怖い。

 

一時にぐっと力を入れると、その反動で何もする気力が湧かない時期が来てしまうだろうから。

 

目標に向けて邁進できる事はそれはそれで良いことなのだろうけど、特にこれと言った目標を設定せずに生きていくことも、それはそれでいいのではないかと思う。

 

 

映画「ジョン・ウィック」1・2(原題:John Wick)/監督チャド・スタエルスキ、主演キアヌ・リーヴス

一昨日の晩と昨晩、二夜続けて「ジョン・ウィック」のchapter1・2を観た。

プライムを契約していないので、家の近くのビデオ屋で借りてきて視聴。

 

殺し屋の世界を描いた傑作だと思う。

殺し屋の世界の「掟」が垣間見えるのが自分的には嬉しいポイント。

例えば、殺し屋同士の会話にはロシア語(?)が時々使われることとか、殺すときにはできるだけ一撃で仕留めるとか。

 

アクション映画にはありがちだけど、何で主人公死なないの?と思うことは多々あった。

何百発と銃を撃たれてるのに、実際主人公に命中したのは数発。

主人公が敵に向けて打つ弾はほとんど命中する。

そのあたりはもう少しリアリティが欲しい。

主人公にも命中しなくていいから、その分敵に命中する率を下げれば自然に見えるのでは、などと思った。

 

殺し屋同士の会話(ほとんどそうだけど)の中で、「ルールが無ければ動物と同じ」みたいなことを言うシーンがあった。

そのセリフは、ストーリーとはほとんど関係ないのだが、妙に印象に残っている。

自分は大学に入学して以降、できるだけルールに縛られたくないからと自分に対してルールを設けないようにしていたが、結局それでは本能のままに生きているだけだなと。

「自由になりたい」みたいに考えて、結局不自由になっていた。

そういうことを考えていたから、妙にこの言葉が印象に残った。

 

アクション映画、特に銃で人がバンバン死んでいく映画を観た時によく思うけど、打たれた方の人の人生ももう少し知りたい。

この映画でも主人公によってたくさんの殺し屋及び組織の手下が一瞬にして殺されている。

その人達は一瞬で殺されているけど、そうやって殺し合いをするに至るまでには、いろんな経験をしてるわけで。そして、彼らの死を悲しむ人はいるわけで。

それを全部映画にしてほしい、とは(現実的に無理だから)思わないけど、「脇役中の脇役」みたいな感じの、2秒くらいしか映らずに死んでいった殺し屋及び組織の手下の全人生を描く映画も見てみたい。

多分その映画では「ジョン・ウィック」にあるようなカッコよさは望めないだろうし、そこで描かれる哀愁も、キアヌ・リーヴスが醸し出すそれとは比べ物にならないくらいショボいものになるだろう。

でも、それを描いてくれる映画があってもいいな、と。

まあ、そういう映画もすでにあるかもしれないけど、すでに存在する映画の脇役をあとから引っ張りだして、そこにストーリーを加える、みたいなのは無いかもしれない。

 

おわり

 

 

勉強記録③ 11/16~22

11/16(月)

資格の勉強はしていない。

当分は卒論の方に集中する見込み。

次の日ゼミで扱う資料を作る、そして別の資料を読み質問を考える。

 

11/17(火)

ゼミ。

読書が捗る。

ここ数か月、いやもっとか。読書が捗ることがほとんどなかった。

たぶんコロナ禍で家に居出してからと言うものなかなか読書に集中できなかったが、なぜかこのタイミングで本に集中できるようになってきた。

たぶんまた本以外のことがしたくなる波が来ると思うので、その時他のことする。

 

11/18(水)

友人と出かけた。

ひたすら歩いた。

勉強記録に書くことではない。

 

11/19(木)

監査論を少し触ろうかなと思ったが、今日は違った。

 

11/20(金)

・監査論 上級講義 ②、③、④(半分まで)視聴

 

11/21(土)

・監査論 上級講義 ④(少し。見終わらなかった)

卒論関係のことをしようと思いつつ、日記・ブログなどを書いていた。

どうせ今日は卒論関係のことしないなと思い、夜8時頃から少しこっちの勉強した。

 

11/22(日)

進捗0。