IQ研究所

人生の教科書

勉強記録⑥ 2020 12/7~13

12/7(月)

12時過ぎ起床。

13:00からも1時間半ほど仮眠。

16:00頃、ネットカフェ着。

次の日ゼミがあり、資料を作らないといけないのにほとんどできていなかったので、半泣きでパソコンに向かう。

この日も先週と同じく個室で作業をしたが、サッカーを観る暇もなく作業をした。

20:00過ぎまでいたが5割も終わらなかった。

帰宅後22:00から2時間ちょい作業。

それでも終わらず1:00過ぎから作業。その後は不安で寝られず結局6:30まで起きていた。

 

12/8(火)

11:30起床。

昼から授業。

夕方ゼミ。

深夜散歩。

 

12/9(水)

早朝起床。午前中からスタバにて卒論関係の本を熟読。

2時間半ほど集中して読む。英語の本なのでちょくちょくスマホを使って単語の意味を調べるが、ネットサーフィンをしてしまったりはほぼしなかった。

その後大学の図書館に向かい1時間ほど作業の続き。

この日の作業は以上。

 

12/10(木)

一日中寝ていた。

起きたのが13:00とか。

その後、14:00から16:00くらいまでまた寝ていた。

夜9時過ぎから2時間ほど歩き、電車に少し乗ったりしながら、考えるともなく卒論の内容について考えていた。

ノートやパソコンに向かうことなくあることについてボーっと考え続けていると、決まって気持ちが悪くなる。

考え事をするならノートやパソコンに向かいながらの方が良いとは思う。

けど、それはそれで堅苦しい感じがしてしまって。

じゃあどうすれば良いのか、という。

 

12/11(金)

夕方1時間ほど卒論関係の作業。

結局この日はこれ以外作業らしい作業はしていない。

ずっと頭の中には卒論の内容が浮かんでいて離れない。

夜22:00頃、眠いのでのようとするが寝られない。

机に向かう元気も体を動かす元気も無いのに、眠れもしない微妙な状態が一番ツライ。

 

11/12(土)

16:30頃から1時間ほど喫茶店で作業。

空腹により中断。

少し、いい考えが浮かんだな、などと思いながら帰宅。

ノートに書きながら確認して、その考えがあまり良いものでないことを知る。

少し落ち込む。

深夜2時から2時間ほど卒論についての考えをノートに書いたりした。

 

11/13(日)

この日は免許の更新にでも行こうと2、3日前から決めていた。

昨夜、結局一睡もできなかった(深夜2時頃にコーヒーを飲んだので当たり前)ので、そのまま寝ずに免許の更新に行くことにした。

15:00頃帰宅。その後爆睡。

この日は作業らしい作業は一切できず。

深夜散歩しながら考えるともなく卒論の内容について考えていたが、すぐにやめた。

 

 

 

 

 

勉強記録⑤ 11/30~12/6

11/30(月)

深夜、少し論文を読む。

10:30くらいに起床。

11:00から途中ピアノを弾いたりパンを食べたりしながら午後2時くらいまで論文を読む。

この日やった作業はこれで終わり。

夕方2時間ほど仮眠。

夜ランニング&筋トレ。

深夜少しだけ卒論関係の本を読む。

 

12/1(火)

午後1時前起床。寝すぎ。しかしこれで良いのだ。

午後4時までかかって昨夜読んでいた本の読むべき章を読み終わる。

それなりに集中していた(スマホなどはちょくちょく見てはいたが)。

午後5時前、漫画喫茶に出向きそこで論文を読む。

個室に入って勉強したのはこれが2回目か3回目くらい。

前回入った時は途中から漫画を読んでしまい勉強どころではなかったが、今日は割と集中できた(と言っても今日も途中からはDAZNでサッカーを観戦していたのだが)。

今日の作業はこれで終わり。

深夜、ランニング&筋トレ。

走ることが贖罪みたいな役割を果たしていると感じる。

3年ほど前にそう感じ始めた。

日々の怠慢を走ることで帳消しにしようとしているのだろうと。

人間には誰しも何かしらの罪の意識があるのかもしれないと最近思っている。

映画「ハニートラップ」の感想で「人は救われたくないのだ」という台詞について書いたが、その「救われたくない」という心理の根底には人々の罪の意識、すなわち「私は悪い人だ」があるように思われる。

 

12/2(水)

12時起床。

昼過ぎから喫茶店に行き、割と集中して論文の見直しができた。

夜、1時間半ほど家で作業。

深夜ランニング。

 

12/3(木)

7時に起床し、少し作業した後、11時半ころから午後2時まで仮眠。

夕方、1時間半ほど作業。

19:00から21:00まで、またしても仮眠。

深夜ランニング。

 

12/4(金)

午前11時起床。

友人と会った。

作業なし。

午後5時半から7時半まで仮眠。

 

12/5(土)

午前11時半起床。

2時半ころから午後5時半ころまで用事。

20:30頃から喫茶店

1時間半ほどは何とか卒論関係の作業を出来た。

多分あのまま家にいたら何もしないまま一日が終わっていた。

 

12/6(日)

11:30起床。

少し本など読む。

13:00から15:30まで仮眠。

ここまで一切の進捗が無く、さすがに何かしようと思い始める。

17:00から何とか1時間半ほど家で作業。

この日は結局これで終わった。

夜はYouTubeを延々と見たり、友人と電話したり。

 

感想

時刻の書き方を統一したいが、例えば「午後5時」と書くのと「17:00」と書くのとで両方良さがあってその都度良い方を選びたいのでなかなか統一まではいかない。

基本的には「17:00」で行こうと思っているが、いかんせん文字数?が多い。

別に変らんか。

「17:00」と書くのはなんとなくかfomalな感じがする。

だから、「15:00~17:00まで仮眠」みたいなのはあんまりしっくりこない。

寝てただけやん、という。

 

時刻の話はそのくらい。とりあえずこのまま気分で使い分けていくということで。

問題は「仮眠」という言葉。

もはや僕のは「仮」眠ではない。

どちらかというと「本」眠に該当する。

ただ、「本眠」は夜にする比較的長時間の睡眠のことを指すと僕は考えているからややこしい。

「昼寝」はもっと違うと思う。

10:00~11:30とか、17:30~19:30とかいう微妙な時間帯の睡眠は、「昼」寝ではない。

朝の10時とか、夕方5時以降を僕は「昼」とは呼びたくない。

暫定的には「仮眠」でいくつもいだが、単純に「睡眠」でもいいかもしれない。

 

 

 

 

 

勉強記録④11/23~29

11/23(月)

7:00に起床するも、パンを食べたのち10:00~13:00まで寝る。

茶店に出向き、卒論とは関係の無い本を読み帰宅後、またしても17:00~19:00まで仮眠。惰眠を貪る。

他の時間はYouTube鑑賞とネットで拾った小説を読んでいた。

寝ている時間が極端に長く、その分活動時間が短い。

「卒論の作業をしなければ」という危機感はあるにはあるのだが。

 

11/24(火)

この日も寝ていた以外の記憶が無い。

寝ている時の記憶が無いのは自明なので、正確にはベットでゴロゴロしていた記憶しかない。

卒論関係の作業は一切できていない。

資格の勉強は言わずもがな。

深夜「ジョン・ウィック」を観た。

 

11/25(水)

この日も昼食(朝昼兼用)後、夕食後、1時間かそれ以上爆睡していた。

卒論・資格関係の作業は一切できていない。

他の時間で何をしていたのか、記憶が一切ないのが不思議だ。

深夜「ジョン・ウィック2」を観た。

 

11/26(木)

14:00頃から3時間ほどかけて、自室の片づけを敢行した。

かなりガッツリと片付けをすることができた。

ここまでガッツリと片づけをすることはほとんどない。

多分2,3ヶ月、いや半年ぶり位かもしれない。

机の上、机の周りにモノが散乱していて勉強どころではなかったところから、机の上のスペースを確保し、部屋の入口から机までの通路を確保するところまで片づけることができた。

この一歩は自分にとって大きな一歩だ。

この日はこれで割と満足した。

ファイル、コピー用紙などを買いに行ったついでに、ミスドで軽く論文の整理をした。

10日ぶりくらいに卒論関係のことをすることができた。

 

11/27(金)

早朝、夕方ともに1時間ほどずつ論文を読んだが、それ以外作業らしい作業はしていない。

8:00~12:30まで爆睡していた。

1時間か2時間くらい寝ようかみたいなノリで寝始めたら、午前が終わってた。

夕食後も1時間くらい寝たのか。

不思議と罪悪感はない。

ネットをダラダラ見てしまう時のような嫌な感じが全くと言っていいほど無い。

 

11/28(土)

夜9時から2時間強論文を読むなどしたがそれ以外に作業らしい作業はできていない。

深夜1時間半ほど歩く。

 

11/29(日)

日中全く卒論関係含め、すべての作業を全く進められずベットで漫画を読んでいた。

とはいえ、それはそれで幸せな時間だったと思う。

勉強したその先で結局したいことと言えばこうしてベットで本や漫画を読むことだろう。それを先取りしていると考えるといい時間の使い方だなと思えてくる。

現代人は少し働きすぎなのかもしれない。

よく言われるように、機械に労働を代替した分人間の労働量は減ってもおかしくないが十年、二十年前とさほど就労時間、時期が変わらないのは、少子高齢化以外があるだろう。

働いていない自分、教義の生産活動に従事していない自分を受け入れる強さを持たねば。

 

漫画『あいだにはたち』作者:さおとめやぎ 講談社

何キッカケで知ったか忘れたが、気がついたらAmazonで買ってkindleで読んでいた。

そして、あっという間に全6巻を読了していた。

面白い。実に面白い漫画だ。

 

最大のツッコミどころであり、この漫画のキーコンセプトである「あいだにはたち」すなわち、主人公高江玲於奈(以下:玲於奈)とヒロインミサさんとの歳の差20歳は、作者の画力により違和感は薄められている。

つまり、ミサさんが超絶美人として描かれているため、高校生が38歳の女性にゾッコンでも「まあ、分からんでもないな」みたいになる。

 

思ったことはいくつかあるが、一番大きいのは、「相手を妊娠させてしまったと知ったら相当怖いだろうな」ということ。

玲於奈はミサさんの妊娠を喜んで受け入れたけど、現実世界でそんなことが自分の身に起こったととしたら怖くて震えるだろうな。高校生で立派に父親としての役割を果たしている人もたくさんいるだろうが、僕にはそれは絶対無理だ。

 

玲於奈は「責任とる」みたいなことを言っていたけど、「どこからその自信くるの?」と失礼ながら思ってしまった。

ミサさんが何度も心配していたように、いくら美人とはいえ38歳の相手に飽きてしまうかもしれない、みたいなことは考えないのだろうか。

それとも僕の心が汚れているのか。

 

玲於奈を見ていて、想いが真っすぐですごくいい子だなと思い、その結果として自分はなんて嫌な奴なんだろうと思った。

 

こういうフィクションを楽しむときの心得として、自分の反省材料にはしてはいけないな。玲於奈はあくまでフィクションの住人だからあのようにふるまったのであって、現実世界の住人はあんなに純粋に生きられない。悲しいかな。

 

とりあえず最後がハッピーエンドで良かった。

ミサさんは何であんなに年齢にコンプレックスを持つようになったのかは分からないけど、とにかく良い旦那さん見つけられてよかった。

 

おわり

 

 

映画「二ンフォマニアック」1・2 監督:ラース・フォン・トリアー 主演:シャルロット・ゲンズブール

先日、ビデオ屋でchapter1をたまたま借り、面白かったのでchapter2も借りて観た。

(多少のネタバレあるかも)

 

色情狂の主人公の生い立ちを、彼女の語りで追う作品。

 

何をすれば、どうすれば人は「満たされる」のかを考えさせられる話だった。

主人公の女の人は、数多の異性と関係を持ち、出産をし、SMプレイ的なことをしても、どこか満たされていない。

聞き手役のセリグマンは、60歳くらい(?)で、もともと性欲が無いらしく童貞と言う設定だけど、情緒的には安定しているように見える(実はそうでもないことが分かるけど)。

 

主人公とセリグマンの話の噛み合わなさは見ていてイライラする。

セリグマン、そうじゃないだろ!」となる。

 

主人公の女の人は、自分の性生活について細かく開示しているけど、凄く勇気のいることだと思う。本人は別に何とも思っていないかもしれないけど。

自分の性癖を隠す、なんてことに意識が向かないくらいに追い詰められていたということだろうか。それにしても自分の性癖について赤裸々に話すというのは難しいだろう。

 

主人公の女の人には、割と共感(?)する部分もある。

奔放な性生活については真似のしようがないけど、そこに向かっていく心理みたいなものは、分かると言えないまでも理解不能でもなかった。

 

実際、スクリーンの中の彼女と現実世界の僕らは何が違うのだろう。

彼女には旺盛な欲望とそれを満たし得る性的魅力があった。

現実世界の住人の多くにも旺盛な欲望はあるだろう。

違いはそれを満たすための魅力・能力があるかないかだけは、などと思った。

 

おわり

 

 

映画「ハニートラップ 大統領になり損ねた男」監督:アベル・フェラーラ、主演:ジェラール・ドパルデュー

先日、ビデオ屋で見つけてなんとなく借りてきて観た。

 

ストーリーは副題の「大統領になり損ねた男」が全て。

性欲旺盛な大統領候補のデヴローが、強姦未遂で捕まる。

そして、その結果大統領の座を逃す。

でも本人はもともと大統領になどなりたいなどとは思っていなかったので特に傷つくこともない。

デヴローの妻は、自身の夫を大統領にするのが夢だったので傷心。

 

ストーリー展開でここが特に面白かったとかはない。

正直いつになったら事件が展開していくのかな、と思っている最中にフィナーレを迎えた感じ。多少肩透かし感があった。

 

唯一印象に残っているシーンは、デヴローの独白のシーン。

なぜ性に奔放になったのかについて自分自身で分析らしきことをして、それを独白しているシーン。

細かいことは忘れたけど、「人は救われたくないのだ」みたいなことを言っていたのが印象に残っている。

普通人というのは救いを求めているようだけどそれは違うと。

 

この言葉がなぜか引っかかった。

それっぽいことを考えていたからだろうか。

人は、救われたいと口で言っていたとしても実はそれは本心ではないかもしれない。

無意識のレベルでは人は自分を救ってくれる存在を避けているのかもしれない。

「こうすればいいんだよ」と助言をもらっても素直にその助言を聞けない。

救いを求めているようでいて、実際に手助けしてもらえる段になるとその差し伸べられた手を振り払いたくなる。

そんな部分が人間にはあるのではないか。

 

やはり人は自分の問題は自分で片を付けたいと思う生き物なのかもしれない。

他人に助けてもらうことが結局は自分のためにならないことを自分が一番知っているのだろう。

だから「救われたい」けど「救われたくない」というジレンマに陥る。

 

そんなことを考えた。

 

おわり

 

 

キョム

(かなり前から「下書き」に入っており、虚無に浸っているときにちょこちょこ書いたりしていたが、書いたり消したりしていくうちに最初の方の文章がなくなって後から書いたことばかりになってしまうかもしれない。それは嫌なので早めに投稿しておく)

 

ザ・雑感。

 

最近、虚無感が凄まじい。

今の心情に名前を与えるとしたら「ニヒリズム」になるのだろうな。

 

結局いずれ死ぬのにな、という想いがずっと頭の中心にある、そんな感じだ。

 

自分を無理に奮い立たせることはもしかしたら可能なのかもしれないけど、その反動が怖い。

 

一時にぐっと力を入れると、その反動で何もする気力が湧かない時期が来てしまうだろうから。

 

目標に向けて邁進できる事はそれはそれで良いことなのだろうけど、特にこれと言った目標を設定せずに生きていくことも、それはそれでいいのではないかと思う。