IQ研究所

人生の教科書

人を羨ましく思うことは無意味だと悟った

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聖人みたいなこと書いてしまった


解脱しかけている。

 

僕は先日、銭湯の湯舟につかりながら悟りの境地に至った。

 

「もうこれから人を羨ましがることはやめよう」

 

本気でこのように思った。少なくとも人を羨ましがって自分の人生を生きることが無いようにしようと思った。そして、今もこの考えは変わらない。

 

もともと僕は(少なくとも大学に入って以降は)人の事を羨ましく思うことが多かった。

 

世界的に有名なスポーツ選手に嫉妬していた事もあるし、何故自分はアインシュタインみたいになれないのだろうと本気で思っていたこともある。

イケメンを見た時には、自分もあんな顔に生まれたかったなと思う事が多々あった。

 

そういう「恵まれた」人になりたいなと思ってきたわけだけど、先日ふと、もうそういう風に考えるのはやめようと思った。

 

たぶん前期分のレポートが終わり心の余裕が多少生まれて、これまでの考え方を反省できたのだろう。

 

ところで、ある人が「~(スポーツ選手・学者・アイドルなど)のことが羨ましい」と感じるとき、その人の真意はどんなものだろうか。

 

「~(スポーツ選手、学者など)そのものになりたい」と答える人もいるだろうけど、実際には「~が持っている(運動神経・学力・綺麗、カッコいい顔・社会的地位などの)スペック・能力が欲しい」というのが真意ではないだろうか。*1

 つまり僕たちは誰かを羨ましがっている時、その人自身になりたいのではなく、あくまで自分は自分のままで、その人が持っているのと同じ程度の能力(顔の良さ、地位もひとまとめに能力とよんでいる)を欲しいと思っているはずだ。

 

ここで言っていることはこういうこと。

僕たちはなんとなく「~になりたい」と思ってるけど、その内実はその人自身になりたいというよりは、その人みたいになりたいというのに近いのではないかということ。

今の自分の記憶、経験抜きにその人自身に変身できたとしてもそれはもはや「自分」ではないから。

記憶を一旦リセットして、その人に変身したとしたら、それはその人として生まれたことと実質的に変わりがないから「~に変身する」というのがあまり意味のない表現であることもわかる思う。

 

話を戻そう。

僕たちはある人の能力であったり、容姿であったり、出自を羨む。

そして、それは何故かと言うとたぶんだけど、そういった能力なり恵まれた環境を獲得できれば幸せになれると思っているからだろう。

 

イケメンになればモテモテになって、運動神経がよければスポーツ選手として活躍できるかもしれないし、頭が良くなれば学者として後世まで名前を残すことができるかもしれない。そんなことが可能なら確かに嬉しいだろう。

 

ここで重要になってくると思われるのは、人間がどのタイミングで幸福を感じるのかと言うこと。

 

幸福感にもいろんな種類があるけど、誰かを羨ましく思っているときに追い求めている類の幸福感を、実際にその人が感じるとすれば、それはその人が「変化」を感じた時だろう。

 

年収が上がったタイミングや、恋人ができた時、試験に合格した時など、ポジティブな変化の瞬間に感じる幸福感をより大きく得られるようになるはずだと思うからこそ、僕たちは「~になりたい」「自分も~みたいだったらいいのにな」と他人を羨ましく感じる。

 

このように、変化と幸福度を結び付けて考えるなら、変化する前の自分から変化後の自分へ移行した直後に「幸福度」は最高になると考えられる。

 

そして、よく言われていることだけど幸福度と言うのは、一度大きく上がっても時間とともし逓減する、すなわち徐々に下がってくる。

 

喉が渇いている時に飲むキンキンに冷えたコーラは一口目が最高に美味しくて、二口目、三口目と徐々にではあるけどそのおいしさは減少していくことを思い起こしてもらえれば分かりやすいと思う。

 

有り余るほどのお金も、誰もが振り向くような容姿も、プロを目指せるくらいの運動神経にも徐々に人間は慣れてくる。

正確に言うと、それらの能力によって得られる幸福感に人間は次第に慣れてくる。

 

そして、たぶん数年もすればその幸福感に慣れてきて、いろいろと不満に感じることも増えてくるはずだ。

 

僕たちが羨ましがっている人達に悩みがないかと言うとそんなはずはないし、僕たちが彼らの能力を手に入れたとしても、僕たちは能力を手に入れた上で何かしら悩みを見つけるだろう。

 

「そうは言っても今の自分と、億万長者・イケメン・プロスポーツ選手の悩みは質が違う。悩みがある事は同じかもしれないけど、彼らの悩みはよりレベルの高い贅沢な悩みだから羨ましいんだ!」と言う人もいると思う。もっともなことだ。

 

僕もこんな風に思っていたけど、最近少し考え方が変わってきた。

僕みたいな平凡な学生でも、億万長者でも、国民的アイドルでも、世界的なプロスポーツ選手でも、取り組んでる問題は実は似たり寄ったりなんじゃなかろうかと考えるようになった。

 

その「皆が取り組んでいる問題」と言うのは突き詰めて考えれば、孤独であったり、自分を認めてほしいという思いであったり、虚無感とか満たされなさ、死への恐怖などではないだろうか。

 

これらの人生における問題・課題はその人がどんな境遇に置かれていてもほとんどの場合付きまとってくるもので、かなり普遍的なものだと言える。

 

お金持ちになれれば、イケメンになれれば、運動神経がズバ抜けてよければ、

今ある悩みから完全に自由になれるのに思ってしまうことがあるかもしれないけど、そんなこともないだろう。

 

「お金持ちはお金持ちで苦労してんのよ」と言われるように、何かに恵まれてある悩みが消えれば、新たな悩みが生じるという意味でも悩みは尽きないだろうし、どんな境遇にあってもずっと残り続ける類の普遍的な悩みが人間には付きまとっているという意味においても悩みはなくならないだろう。

 

もちろんだからと言って、何かを目指すことが馬鹿らしいということにはならない。

 

さっき書いたように、自分の出来ることが増えることによって悩みの質が変わってくる部分があると思うが、その「変化」は楽しいことだろうし、心地いいものだろう。

「変化」からくる幸福感ばかりを追い求めることは人生のコアの部分の課題をないがしろにすることにもしかしたらつながってしまうかもしれないけど、何かを目指すことそれ自体は人生に活力を与えるだろう。

 

要は、何かを目指す過程で他人の事が羨ましくなって、そこにエネルギーを持っていかれるのはもったいないということ。

 

すごく月並みな結論だ。でもこの結論が出てくる過程が僕としては大事だ。

 

こんな偉そうな事を書いているけど、1か月もすれば人のことをすごく羨ましく感じているかもしれない。

 

と言うか、80%くらいそうなりそうだから、その時にはまたその時の考えを書きたい。

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

*1:

顔については分かりにくいので補足。

イケメンになりたい、可愛くなりたいと思う時、完全に顔を変えてしまって実在する芸能人の誰かと同じ顔になっても嬉しくないだろうから、「芸能人の~みたいになりたい」と言うのは「ある芸能人~が持っている綺麗な顔と同じくらい綺麗な顔が欲しい」と翻訳できると思う。