IQ研究所

人生の教科書

なぜ特別な人になりたいのか。

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一回はスポーツカーとか乗ってみたい。


特別な人になりたい。

 

誰しも一度は思ったことがあるんじゃないだろうか。

 

僕は多くの人と同じように「普通の人」として波風立てぬように日常生活を送っている。

できるだけ決まり事に抵抗しようとはするけど、最終的には多くの人がすでに通った事のある安全なレールに沿って生きる道を選んでいる。

 

そんな僕でもやはり「特別な人」になりたいと思うことがある。

 

概念自体がぼんやりしている。「特別」とは何だ。

 

僕の中で「特別」というのは「普通でない」というニュアンスに近い。

 

じゃあ、異常な行動をとれば「特別」になれるのかと言うとそうでもない。

 

それではただの「異常者」になってしまうだろう。

なりたいのはあくまで「特別な人」。

 

「俺ってちょっと周りと違うんだぜ」って言っている人を見て痛いやつだなと思う。

 

それは、その人が「特別な人」になりたがってるのに結果的に「異常者」になっていることが多いから。

人よりも優れた点がないのに行動がひとと違っているだけならそれは「特別」と言うより「異常」なだけだろう。

 

僕らは、プラスの方向に突き抜けた存在のことを「特別な人」と呼んでいるのだろうし、僕はその意味で特別人になりたい。

 

人に大切に思われたいから特別になりたいのか。

そうかもしれないと思う。

 

俗にいう「承認欲求」というやつだ。

 

認められたいから人とは違った存在になりたい。

そういう説明だろう。そして、この説明で「特別な人」への憧れの大部分が説明できると思う。

 

でもなんとなく、承認欲求だけでは説明できない部分が含まれているように感じる。

 

思うに、このありきたりで退屈な世界に希望の持てる部分が1ミリでもあればいいのに、という想いが人を「特別な人」へと駆り立てているんだ。

 

もしかしたら大抵の「大人」は、世間で「特別」と言われている人にもし自分がなったとしてもそれはそれで新しい悩みが生じるだろうことには気が付いているのかもしれない。

 

結局よく言われるように、今の自分で満足できない人間は誰になろうと満足できない、のかもしれない。

 

つまり、人にはそれぞれ幸も不幸もそれなりの量があって、幸せオンリーな人などいないのかもしれない。

 

人というものは「ずっと幸せでいる」ことはできない、という条件のもと生きているのかもしれないのだ。

 

そして「特別な人」を求めるというのは、この「ずっと幸せでいることができない」という条件の例外を探していることに他ならない。

 

「そんな例外が存在してほしい」

「もしかするとその例外が自分かもしれない」

 

そんな風に思うことで人は少し楽になるのかもしれない。

 

以上がなぜ人は「特別な人」になりたがるのかについての僕なりの分析。

 

ここから「だから特別なひとを目指す必要はない」などと言うことはしない。

 

誰しもが持っている普通の感情だし、それを無理やり抑え込む必要はないのかなと思う。

 

ただ、その「特別な人になりたい」が「特別な人にならなければ」に変わった時、生きていくことは非常につらくなるかもしれない。

 

その時には、「特別な人幻想」の根底にはありきたりな日常からの逃避願望が隠されていることを思い起こせば、違う形でその願望を昇華させる道を探るなど、他の道を探宇余裕が出てくるかもしれない。

 

ありきたりな日常からの逃避願望を昇華させる方法に具体的にどのようなものがあるか、まだ僕自身獲得できていないし、人のことになるとほとんど何もわからない。

 

だから、一般的にこうすべきだということも書けない。

 

ただただ「特別な人幻想」に押しつぶされそうな人と自分に向けて、何かしら分析の手掛かりになればいい。

 

おわり