ニートが読むべき本:『働くことがイヤな人のための本』(新潮文庫)中島義道

 

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

 

 大学2回生くらいの時、一時期この作者の本をよく読んでいて、その時にこの本を読んだことがあったが、最近ふとまた読みたくなって読んだ(「最近」と言ってもそれは去年の話。卒論の関係で投稿がかなり遅れた)。

 

前に読んだ際にはメモなどは書き込まずに読んでおり、ページの端が少し折られているくらいだったけど、こんなにたくさん思うことがあるなら前回も何か知らのメモを残しておけば良かったと思った。

 

今回読んでみて、「なるほど」と思うところがたくさんあり、なんぜ前回読んだときにその箇所を素通りしたのかが不思議だった。今回は線を引いて、気が付いたことを書きこみながら読んだのだけど、たまに前回ページの端を折ってる箇所とかぶっていたりするのでけど、前回どういうことを考えてそのページを折っていたのかが非常に気になった。

 

今回読んでこれだけ感銘を受けたのに、以前読んだときは感想らしきことを一切ノートに残したりはしていない。それだけ「働く」ことをここ数年間考えていたということだろうか。

 

今回読んで印象に残っていることの一つに、中島氏がしきりに世の中の不条理さに言及していたことがある。

 

中島氏いわくこの社会で成功するのも落ちぶれるのもすべては運で、その運がどういう仕組みで僕たち人間に作用するのかは誰も分からない。

 

それなのに成功者は「諦めなければきっと夢はかなう」と言う。自分が成功したのは運のおかげなのに。

 

それでもそういう言葉が世の中に出回るのは、成功者にしか発言権がないから。

 

かといって、そうやって成功者を僻むのも違う。

 

自分が成功していないからといって、それが正しいことにはならない。

 

成功者が特別なにか不正義をはたらいたわけではない。

 

成功者、もしくは成功をめざして社会のなかであくせく動いている人を見て、そこで上を目指すことを悪く言うことはできない。

 

と、(僕の理解によると)中島氏はこの本の一部でこういうことを書いていた。

 

僕は中島氏が書いていることは概ね真実だと思う。

 

あくまで中島氏が見た社会だから、僕がその理解に対してどうこう言うのは本当はナンセンスかもしれないけど、僕の理解と概ね一致しているという意味でそれは「真実」だと思う(「自分の理解と合致していれば真実なのか!」とツッこまれそうだが、そのツッコミに対しては「イエス」と言おう。誰しも自分の理解と合致しているものを真実として受け入れているでしょ?)

 

人間には、自分でどうしようもないことが多すぎる。

 

どこに生まれるか・どんな遺伝子を受け継いで生まれるか、からいつ空腹になり、いつ眠たくなるかまで、人間には自分でどうしようもないことが多すぎる。

 

もっと言うと、自分でどうにかできると思っていることだって、本当は勝手に物事が進んでいることだってある(「決意」っていかにも自分で考えたみたいだけど、実は環境に期待されてるかもね)。

 

それで、そういう「自分ではどうしようもないこと」を「運」と呼ぶなら、社会での成功・不成功も、その大部分が運の作用と言えるだろう。

 

全てが運だと考えると、社会的な不成功を悔やむ必要はなくなる。

 

しかし、逆に社会的成功を素直に喜ぶこともできなくなる。

 

成功も失敗も、100%自分の努力によるものだと考えるのはおかしいと思う。

 

でも逆にそこにまったく各人の努力の要素が無いと考えるのも、多少おかしいとおもう。

 

というより、それだと何かを頑張ろうと思えなくなる。

 

今の僕はその「何かを頑張ろうと思えなく」なっている状態だ。

 

だからこそ「各人の努力」の領域を少しは残しておきたいと考えている。

 

そうしないと、完全な無気力人間になってしまうから。

 

無気力人間でもダメなわけじゃないけど、実際問題生きていけないからな~。

 

おわり